私の過去と未来を繋ぐ日記

これから記す日記は『過去の私が書いた日記』です。

その日記を元に今日ここで、
「過去の私」と、今ここに居る「未来の私」を繋げて、これまでの時間を繋げていこうと思います。
(当時の日記の内容に日本語としておかしい所がある事をご了承ください。ちなみにそれは今でもあまり変わっていな事もご了承ください。苦笑)



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タイトル:『最後に。』
2005年01月15日16:38

アタシは、もう二度と
「こうなるから」
「こうするから」
と言う言葉を口にしません。
そうゆう事は、誰かに決意を伝えて、「そうなる」と、その時の決意をその相手や誰かと分かち合うという自己満足にしか過ぎなく、そんな決意表明をする必要がないという事に気付いた。
アタシが冒頭に述べた言葉そのものが、そうであります。
なので、これが最後です。
・自ら狭い道、考えを作らない。
・少しでも興味のある事、興味無くともやれる機会の有る事は何でもやってみる。
・自分の選んだ道の先に失敗があったとしても、その後の学習する事が重要。
・自己管理。
・努力。
・素直。
・自分の為に生きる。
アタシは変わっていく気がします。
明日が楽しみで、明後日が楽しみで、
未来が楽しみです。
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自分の事を「アタシ!!」と表現していますね。若いですね。苦笑

それはさておき。
この未来はどうなったでしょうか。
と、「未来の私」。
そう、17年後の現在のわたくし自身が検証していこうと思います。


【自ら狭い道、考えを作らない】
当時の私は結構な意気込みで書いた事を今でも何となく記憶しています。
「そうする!!」と気合十分だったのは確か。
でもこれを実現できるのは約15年後になります!!(笑)
意気込みが十分でも「成り方」や「方法」を見つけるまでに相当の人生経験が必要だった様です。

そもそも狭い世界が好きな特徴が自分にある事には当時は気づいていないので、道のりはとても大変でした。
「どうして皆は色々な事に興味が持てるのに、私は興味を持つ事が出来ないんだろう」
「どうして皆は人と遊ぶ事を楽しめるのに、私は人と遊ぶ事を楽しめないんだろう」
原因を探そうと必死に、周りの人と自分を比べてその違いに沢山悩んで、それはもう何年も何年も苦しみましたね。

でもきっと、それ自体が違っていたんです。
『人と自分を比べる事』こそが、自ら狭い道、狭い考えを作ってしまっていたのです。

『人と自分を比べない事、”人は人、”自分は自分”と、どちらをもを受け入れる事』

それに気づいてから、その方向へ進み始める事がようやく出来るようになってきました。
15年後に気付きだし、思考の習慣を変える努力をする事ができて無事に習慣化した今。
「有言実行できたね!」と、当時の自分を褒めてあげたいと思います(笑)


【少しでも興味のある事、興味無くともやれる機会の有る事は何でもやってみる】
それは無理だ!!!(笑)
でも色々挑戦してみた時期もありました◎
挑戦した結果『少しでも興味のある事にはすぐにやってみる』事が自分にとても合っている事に気付くことができて、それを知ってからその面に関してはとても楽しく過ごせていると思います。
これは今の私にも十分言える事です。

そして、挑戦した結果『興味の無い事をやる事が辛すぎて出来ない』事も知りましたね(笑)
でもいいんです。
ちゃんと有言実行で挑戦した事を私は知っています。

これは『興味に対する困った癖の話。』という記事になるほどの発見に行き着く、沢山の経験をしてこれたのが証拠です。
結果『興味の無い事に関心を向ける事がとても不得意』という事に気付くわけですが、当時の私のチャレンジ精神は、今の私も引き続き見習っていきたいと思います。


【自分の選んだ道の先に失敗があったとしても、その後の学習する事が重要】
それはもう正解です。
後悔とは「やった事」に生じるものではなく「やらなかった事」のみに生じる と今の私は考えているので、当時の私には「よく知ってるね!!」と言ってあげたいです。
多分「その後の学習する事が重要」っていうのが「そこから学びを得る」という意味だと思うのですが「そういう思考の習慣を身に着けたい!」という事だったのでしょう。
よって、合格!を出してあげたいと思います◎


【自己管理】
しばらく出来ないでしょう。苦笑
むしろ、心がける事を忘れて生きる時間もそうとう長いでしょう(笑)
今の私ですら怪しい所がありますが、自己管理する為に自分で決めた事をメモに書いて見える所に貼ったり。
そういう技を使えるようになったのもここ数年の話なので、苦労すると思うけど「これは一生一緒に頑張りましょうね!」と当時の私に言ってあげたいです。


【努力】
まぁ、努力する事は苦手ですね。
これはもう根本的な問題なので、あなたはそもそも『「努力する事」を努力する』事が出来ません!(笑)
これについても、そこに気づくまでに「どうして私はダメなんだ」「また努力できなかった」と何度も何度も自己嫌悪に陥ると思います。

そもそも「努力をする」という考え方そのものを変える必要があるのです。

好きな事なら平気で「飲まず食わず、寝ず、横にならず」でやり続ける集中力があるという事にいつか気づきます。

『足りないものを補おうとするのではなく、今あるものを最大限に生かせる方法を探す』ことにシフトチェンジできると、一気に視界が明るくなるでしょう!
ただし、それにも14年はかかります(苦笑)


【素直】
当時の私もどちらかといえば素直だったんじゃないかな?とは思うのですが、まぁ色々格好つけてたし「素直なんてカッコ悪い!」と反骨精神があったと思います。
でもこれを手に入れるのはとても簡単な事でしたね。
本当は自分の中にいつもあったのですから。
それを表に出すか引っ込めておくのは、いつだって自分次第。

人の話を聞き、本を読み、様々な考え方に触れる中で、何だかしっくりこないものはそっと受け流して、ピンときたものはすぐに取り入れ、迷ったものは自分の頭でじっくり考えて自分で判断する。
「私の中の素直さ」が沢山の事を吸収させてくれたから。
だから私は脱皮をし続けて今日まで来れたのだと思います。

両親が願ってくれた【愛らしく 誰からも好かれる 素直な子に】という言葉。

愛らしくも誰からも好かれてもないけれど(むしろ嫌われがち!笑)。
でも唯一成る事が出来たと自負できるのが『素直』だと今の私は思います。
そしてそれは、これからも大切にしていきたいです。


【自分の為に生きる】
当時の私は誰の為に生きていたのでしょう?
この言葉は、誰を意識して書いたものなのでしょう?
それを思い出す事はできませんが、今の私は自信を持って「自分の為に生きれている」と思っています。

つい数年前までの私は「私はこんなに真面目に対応したのにあの態度は何!?」などと、自分のした行動に対しての「それ相応な反応」を相手に求めていました。

自分の温度と相手の温度が違う事をまだ知らなかったからです。
自分がこう思うのだから相手もこう思うだろうと、自分と他人を区別できなかったからです。
それぞれが違う人間なのだから、それぞれの感覚がある事を知らなかったからです。

でも今は違います。
例え誰かの為に犠牲を払う事があったとしても、自分で「そうしたい」と思った自分の心に従って、自分で道を選ぶ事がちゃんと出来ています。

誰かの為に何かをして「恩を仇で返された!」的な事があったとしても「その時の自分はそうしたいと思ったからそうしただけ。相手に何かを求めたわけじゃなく、ただ、私は”自分がそうしたい”と思った自分の心に従っただけ」と常に思える今は「自分の為に生きる事が出来ている」と私は思っています。



あの日、熱い意気込みで綴った未来の自分への7つの約束は、私としては全て達成できていると思っています。

自分の短所や自分を責めてしまう原因から目を逸らす事なくしっかり向き合い、手探りで打開策を求めながら一歩づつ歩み続け。

たくさん傷つき、たくさん悲しい思いをして、何度も何度も逃げ出して休んでは何度も何度も立ち上がり。

そうやって今日まで自分自身から逃げなかった結果、今の私がここに居るのだと思います。

だから私は、今までの道のりを一緒に歩いてきた私の事を、
「とても健気だな」と思うし、
「そういう生き方が出来ている私」を、我ながら誇らしいと思っているのです◎