人に妬まれる人生からの逆襲
中学生に入っても色々ありました。
中学生に入ってからは謎に同学年や上級生の不良からは好かれてたので、あまりくだらない事で人から目をつけられる事はなかったけれど。(ちなみに私は全く不良ではない。)
中学1年生の時、音楽の先生から「3部合唱の曲を作ってみない?」と言われて、私は合唱曲を作りました。
歌詞は、募集かけたんですよね、同学年全体に。
それを文化祭で学年の演目として学年全員が歌わされて。
私はその歌練習の時間が凄くイヤだった。
皆べつにやりたくもない事なのに、朝練とかパート練習とかさせられてて。
多分、普通に既存する曲だったら何も思わなかったと思う。
「練習クソダルっ!」って言ってる人を見ても
「変な曲!」とか言ってる人を見ても。
そういう言葉が耳に入るたびに、なんだか自分が否定されているような気持ちになって悲しかったし、こんなもの作るんじゃなかった、って何回も思った。
でも2年生の夏休み前かな。
「中学生の作曲コンクールがあるから、去年のあの合唱曲を出してみない?」と。
また音楽の先生に言われて。
「みんな嫌がるんじゃないですか。」
って私が言ったら
「有志を募ろう!」
って。
「そんなの誰も集まりませんよ。」
って言って、私は断った。
だけどその数日後、何人かの女の子が私に声をかけてきたんです。
「去年のあの歌、コンクール出すんでしょ!?私も参加する事になったよ!」って。
話を聞いたら、先生が何人かの人に個別に声をかけてたみたいで。
10人くらいかな。集まったの。
1パート3、4人。
普段一つも仲良くなんかしてなかったのに、こうやって来てくれる人がいるんだ、って。
凄く嬉しかった。
ふう。
でね、結局そのコンクールでは、最優秀賞を獲ったんです。
トロフィー貰ってそれは学校に飾ってたっけな。
でも実家に盾があるから、それは私が貰ったのか。
でもそれよりも、自分が作ったものが評価されたことよりも、わざわざこうやって集まってくれて、私よりも喜んで飛び跳ねてくれたその人らの嬉しくしてる顔が、一番嬉しかったな。
で、その後。
「今年もやるわよ!」と。
また音楽の先生に言われたけど、でも今度は大丈夫だった。
「私の作った曲を、変な曲!って言った奴は、センスのないバカだ。」と思えてた。
なぜなら、凄い素敵な曲を作ってきてた他校の人たちを私は見た。
私が「すげぇなぁ」と感動したその音楽たちよりも評価してくれた審査員さん達が居たのが事実なわけで。
「変な曲!って言ったあの女は、ただの妬みだ。自分に出来ないから悔しくて言ってるだけだ。」
って、もう思えてた。
その年に作った曲も翌年のコンクールに出展し、再び、最優秀賞を獲りました。
前年と同じメンバーで参加したっけかな。
何人か増えてた気がする。
でも私は、それでもその人らを『友だち』だとは思ってはいなかったと思う。
個人的に遊んだりする事も、深い話をする仲でもなかったから。
でもどうだろう。
『仲間』とは思ってたかな。
コンクールの後、反省会?みたいな場で一言言わされた時
「心強い仲間がいてくれてよかった」って。
そう言ったのを覚えてる。
こっからはちょっと余談。
そうやって賞を取ったりすると人の態度が変わったんです。
あんまり意地悪な態度を取ってくる人が居なくなったというか。
そういう事を言いづらい雰囲気になるんですかね。
「良い曲だね!」だなんて。
手のひら返した態度を取ってくる人もいたし。
「おまえが去年どんな態度を取ってたかは、こっちは忘れてねぇからな。」
とは思いつつも、ありがとーとは言ってた気がするけど。
まぁそんなこんなで。
中学生の時も、色々な人の感情、心の動き、無名のものに拍がつくだけで手のひらを返しちゃうような人の心の弱さなど。
中学生ながら、色々な人の心に接する中で、私自身も色々な学びがあったなぁと思ってます。
なーんか今でもやってる事がそんなに変わんないなーって。
そう思う時が、私にはある。
私が、人からの妬みの感情をキャッチしやすい理由はこういった子どもの頃から続く経験から来ているものです。
それらを、気にし過ぎだとか自意識過剰だとか言う人がいるなら
お前も私と同じ経験をしてから言え。
そう思う時も、私にはある。
こっちはお陰様でなかなか拗らせてんだぞ、とね◎