「毒親」とは一体何だったのか①

毒親(どくおや、英: toxic parents)は、毒になる親の略で、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。 1989年にスーザン・フォワード(Susan Forward)が作った言葉である。 学術用語ではない。



毒親』と表現される概念は上記とされる様ですが、個人の感じるその様態は様々であると思います。





【子供から見える世界こそが、その子供にとっての全世界となる】


私の両親はとってもまともだった。

いつだって母親の言う事は正しかった。



学歴の無い両親からは「私たちの様になったら困るから」という理由で、私は勉強をする事を母親から強いられました。
「反面教師」
この言葉は、言葉を覚えられない私が幼い頃に覚えた言葉の一つです。

父親は中学を卒業してからずっと社会の中で生きていた人なので、学は必要ないという考えの人でした。



私には弟が二人いました。
私が女である事、そして長女であることが理由で、私は弟たちよりも特に厳しく育てられました。

小さい頃、一緒に遊ぶ弟に何かがあったらいつも「ちゃんと弟を見ていないお前」がいけなかった。

弟と喧嘩をすれば、どんな時も「先にちょっかいを出したに決まっているお前」が全部いけなかった。

小学校の頃、学校でイタズラをして家に連絡が来たら「良くない友達と付き合うお前」が全部いけなかった。

同級生の女の子に理不尽な意地悪をされたなら「やり返さない弱いお前」が全部いけなかった。

どうしても出来ない事をどうにか人並みにと頑張っても頑張ってもどうしても出来ない時は「五体満足で生まれてるのに人に出来る事が出来ないお前」が全部いけなかった。



苦しい時、悲しい時はいつも、全部私がいけなかった。



小さい頃から「親の言う事が絶対」という家庭環境であった私は、親の言う事に逆らうという選択肢がこの世に存在するなどと疑う事はありませんでした。



いつだって母親は「お前たちの事を思って言っている」と言っていたし、
いつだって母親は「言ってもきかないから叩くしかない」と言っていた。



怒られてしまうのは全部私のせいで、
私が叩かれたり殴られたりするのは、全部私のせいだ と。



こんなにこんなに怒らせてしまってごめんなさい。
こんなにこんなにイライラさせてしまってごめんなさい。
言う事をちゃんと聞けなくてごめんなさい。
言われた事を守れなくて叩かせてしまってごめんなさい。
覚える事が出来なくて何回も何回も同じ事を言わせてしまってごめんなさい。



毎日怒られていたけれど、毎日殴られていたけれど、それはいつだって「言う事を守れない私」がいけなかった。

おかあさんごめんなさい。



「ごめんなさい」をいくら言葉で伝えても、どうして私を殴り続けるのかが私にはわからなかったから、
どうしたらいいかわからない私は、おかあさんを喜ばせたいと思って色々な事を頑張ったんだよ。



それでも、おかあさんは喜んではくれなかった。

学校で100点を取っても「学校で勉強しているのだから取れるのが当然」と褒めてはもらえなかった。

リレーの選手に選ばれても「そんな事言ってる暇あったら早く寝なさい」と褒めてはもらえなかった。

習わされているそろばんを真面目に取り組んで誰よりも早く級を駆け上っても「お金払って習いに行ってるのだから当然」と褒めてはもらえなかった。

作曲コンクールで最優秀賞を取っても「あんたには才能があるんだからその調子で頑張って音楽の道へ進みなさいね」と言うだけで褒めてはもらえなかった。



私が高校受験の時に両親がとても揉めました。

母親は「学区内の一番頭のいい高校に何としても行かせる!」と言い、
父親は「学なんて必要ねえ行きたくなけりゃ行かせるな」と。

毎日わたしのせいで喧嘩をしている両親のせいで弟たちがとても嫌な思いをしたのも全部私のせいでした。

「あんたの事を思って、お父さんから私が怒られて家がこんな事になったんだから何としてでも受かりなさい」



私は何としてでもで、奇跡的に合格できました。

「本当によくやった!!」

初めて泣いて喜んでくれたお母さんの顔は、今はもう思い出せなくなりました。

でも、私はおかあさんに喜んでもらえた事を「嬉しい」と感じるよりも先に、全てのプレッシャーや今まで言う事をきけなかった事の罪悪感の集大成のような、なんだかすごく遠い気持ちで「よかったな」と思いました。



高校生の時、ピアノを辞めると言い出してごめんなさい。

「辞める」と言い出せば怒られるのがわかっていたから言い出せなかったけど、
本当はもうずっとピアノのレッスンには行ってなかったんだ。
毎月3万円払ってくれているお月謝をドブに捨てている状態がどのくらいマズい事をしているかはわかっていたから、それがいつバレるだろうかと毎日恐怖で夢にまで出てきて。
もうおかしくなりそうだったから「辞めたい」と伝えた時、怒らなかったのは『一つも練習していないのにレッスンに行けるわけがない』とわかっていたからなの?
それとも、受験に受かった事で何かが燃え尽きてしまったからなの?
そうなんだとしたら、私と同じ気持ちだったんだね。
私もとっても燃え尽きたんだよ。
ひとつも言わなかったけれど。

おかあさんは全然怒ってはいなかったけど、
「今まであんたの為にいくら使ってきたと思ってるの」

この言葉で、私を説得してるんだろうな、って本当は気づいてたけど、
私が話した時にはもう、私は全部覚悟して話してたから、あんまり何も思わなかったよ。

「あんたに音大行かせる為にお金だって散々貯めてきたのに」

「そのお金は弟たちの為に使ってあげてね」って思ったけど、それはちゃんと伝えられたっけかな。



高校卒業したら、私はこの家を出るね。

私の高校受験以来、ずっとこのおうちはぐちゃぐちゃなまま。

私が居なくなれば、このピアノを弾く人も居なくなるし、
そうすれば「うるさい!」とおとうさんに思わせずに済むしね。



厄介者は、いなくなります。



私はみんなの事が好きだから、さようなら。