毒親と鬱と社会不適合者の話⑦(片羽の千切れた蝶)

【片羽の千切れた蝶】

私が蝶々だとしたら

人から見れば蛾に見えるかもしれない。

でも私は自分を蝶だと信じてる。

でもその羽は、片側の上の部分が少し千切れていて

うまく飛べるのかどうか、私にはわからない。

でも私は、その千切れた羽で

きっとうまく飛べると信じてる。





私は今、社会から少し休憩した時間を過ごしています。


丸4年、人と揉める事無く、一つも問題を起こす事無く勤めた職場を、今は少しお休みしています。

力加減のわからない私は今度は駆け抜けすぎた為、一旦止まって、”今の自分”を見つめ直してみる機会としてとても良いタイミングだと思ったからです。



あの部屋に閉じ籠って羽化するのをじっくり待った時間は、私にはとても大切で必要な時間だったと思っています。



あれから社会の中で、全てがうまくいったわけでは勿論ありません。

髪の毛がほとんど抜けてしまった事もありました。
その時は多発性の円形脱毛症を患い、本当に『地球儀がほとんど海』といった状態にまでなりました。
(今はほぼ完治しています。いつかの機会に改めて書こうと思います。)

嫌な思いも沢山しました。
傷つく思いも沢山しました。
それと同じくらい、人が与えてくれる優しさを踏みにじったり、迷惑をかけ、不快な思いをさせてしまった事も沢山あります。

「どうしてやっぱりうまくやれないんだろう」と何度も何度も何度も悩み、落ち込みました。

悩んで、考えて、試して、また失敗して、でもそしたら今度はそこから何かしらを学んで。

また立ち上がって。

時々休憩して。



それは今でも続いています。

四苦八苦。
七転び八起き。

これらの言葉を全部盛り込んでいいくらいに。



私のこれらの経験が、世界からすればとってもちっぽけな事だという事はわかっています。



でも、時々 思うんです。



自分の事を。


「なんて健気なんだろう」って。


こういう言葉は本来自分に向けて使い言葉では無いらしいのですが。
それでも私は自分に対して敢えて使うのです。





「少し変わってるけど、明るくて元気な人!」



今は「ありがとう!!」と言えるようになりました。



暗い顔している人の所に人は寄ってこないし、愚痴や文句ばかり言う人の所に人は寄ってこない。



私は結局、人の事が好きだから。

きっとまだ知らない世界も全部含めて、
それでも、世界はきっと素敵だと思うから。

そりゃ生きていれば過去にも現在にもきっと未来にも色々な事は起きるし、なんなら気分の波も激しく大波なので、気持ちが奈落の果てまで沈む時は今だってたくさんあります。

でもそういう時は、やっぱり自分の心を大切にして。
誰にも遠慮なく一人で静かに心を休める。

また元気になった姿で皆に会える為に。



「皆の前に居る時は、出来るだけ元気な姿で居たいな」
と思う私の言動の結果として「明るい元気な人!」と思ってもらえているのだと思うので、
それは長い間、もがきながら、時々休みながらも泳ぎ続けてきた、私自身の成長の証だと思えるようになりました。





『いつも明るい元気な人』



脳天気で羨ましいなぁ!と思うほど、明るい元気な人。





その明るさや元気の裏側には、

皆それぞれ、どんなエピソードがあるんでしょうね。





【おわり】