絶交した心友が言ってた事の意味

2週間前くらいに、唯一の生き残りだった心友の”きちおちゃん”と絶交したわけです。
(他が死んでしまったのではなく去っていったという意味です)

理由は、”お互いの価値観の違い”ですね。
(恋人でもないのにねw)

前にも少しブログに書いたけれど、多分きちおちゃんは私がツイッターで当たり障りのない事しか言わなかったり「気に入らない」と思っているのに口に出さないようになった事が気に入らなかったんだと思う。
「カッコつけてる」と言ってたけど、それは「良く思われようとしてるだろ」の意味だったわけで。

でもこの時、本当に反論しか出来なかったわけですよ。
だって本当に何も思わなかったから。

別に皆から好かれようと思ってないし、優しい振る舞いをしよう!と心がけていたわけでもないのですよ。

そりゃ気に入らないツイートを見かける事もあったけど、よく知らない相手に対して「それは気に入らないです」とかわざわざ言ったって、よく知らない同士で討論したって多分分かり合えないし、分かり合えないのならお互い嫌な思いするだけだし、と思うと「嫌なら見なきゃいいだけ」って所でフォローを解除すればいいかな、と思っていたから。

だから気に入らなければフォローを解除しているので、気に入らない事を「気に入らない!」と主張する事もないので、私の発言もずっと穏やかだったのです。

そもそもきちおちゃんはツイッターでの人との関り合いが気持ち悪いと言ってた。
「上辺だけの付き合いっていうか表面的な事ばっかりで繋がってるフリしてるだけで気持ち悪い」という意味だったと思う。

それには私も同感で、お付き合い的な”いいね”だとかお付き合い的な”リツイート”とか、確かに見てて気持ち悪いなと思う。
リツイート専門アカウントを別で作ってる人とかは話は別)
フォロワー数を稼ごうとしてとか、フォロワーを繋ぎとめておく為にやってるやつ。

前にコーチング的なマルチの話を知る機会があったから、フォロワーを増やす為にやる事とかそういう仕組みとかはなんとなく知っていて。
だから「あぁフォロワー増やすのに必死なんだなこの人」みたいにわかってしまうわけです。

まぁ、コーチングします!だとか商売やビジネスしてます!って謳ってフォロワー稼ぎしてる人は、そりゃもうご苦労さまですとしか思わないので不快も何も感じないのですが。
自己顕示欲丸出しでそれやってる人見ると気持ち悪いと感じてしまうのです。

そういう人ってだいたい中身が無い。
口だけ立派で行動が伴ってないやつ。
だから言葉にも全く重みが無いし、見てて寒いし。
そのくせ、表面的な褒め合いや偽物の優しさの交換なんぞして傷をペロペロ舐め合って芯の無い繋がりに自惚れてる匂いがプンプンして、虫唾が走るだよね。

まぁ私はそういう感覚があるし、そういう感覚が私にあるって事をきちおちゃんは知ってたから、そういうTwitterという世界の中で「友達が出来たらいいな」とか言ってみたり、実際トゲのあることを全然言わなかったりしてる私に対して、それこそ虫唾が走ったんだと、今になってはそう思えるようになりました。

それは本当に昨日までは全然気づかなくて。

昨日、そういった私の気に障るツイートが私の目に入って、いつもだったらハイさようなら、で終わるのに、昨日はいつまでたってもイライラしてたわけです。
虫の居所が悪かったんですかね?

まぁその辺りは原因不明なのですが、一旦スルーしたのに、いつまでも気になってしまって。
最初はご本人のツイートそのものに返信として”気に入らない”という事を書こうかと思ったのですが、そんなフォロワーでも何でもない人にいきなり批判されても、、と私はやりたい放題でスッキリしても、お相手さんには嫌な思いをさせるだけだろうと思ってそれはいかんいかんと思ったわけです。
別に私はその人に「考えを改めてほしい」と思ってるわけでもないし、その人に何しろかにしろと望んでいるわけでもないし。
じゃあ私が主張したかった事って何すか?というと、
「こういうのが気に入らないんだよ」って事だけ。

となると、友達に電話して言えばいいのだろうけど完全な独り言だから相手の時間を使って聞いてもらうほどのことでもないし、だとしたら自分の所でやればいいよね、となって、昨日の私の発言に至るわけです。


”「人を殺して死刑になりたい」と言う人自体が世の中から何らかの裁きを受けてて・・(なんたらかんたら)
だから裁くのではない社会の変革の方法を僕はいつも考えている”

(ブロックされてもう見れないから完全には書けないけどだいたいこんな感じだった)
的な事が書かれたツイートだったのです。

私がリツイートで主張した事は以下


”如何なる理由があったとしても”人を殺す”為に他人を巻き込むのも”死刑にしてくれ”といって自分の決着を他人に委ねるのも、ただの究極のかまってちゃんなだけ。
社会から大小様々な裁きを受けているのは社会に生きる全員に当てはまる事だし、心の弱さ故のその思考なら、筋トレしなさい、と思う。”
”裁くのではない社会変革の方法
社会変革なんていう大それた事を考える前に、じゃあ自分自身は何事に於いても、良い・悪いと感じてしまう感性を持っていないんですか?って話。
その感覚を外に出すか出さないかはさておき、良いとか悪いとか感じてしまった時点で、もうそれは裁いてる事になるんだから。”

まぁ言いたかった事は、社会から様々な裁きを受けて心が病んでるからといって人を殺していいわけじゃないし、そもそも殺された方は大迷惑だし、どうしても死にたいなら出来るだけ他に迷惑をかけずに自分で勝手に死ねばいいし、わざわざ「死刑」と決めてもらうとか、、他人に自分のケツを拭いてもらおうとするんじゃないよ、とそもそも思うのです。
まずこれについて擁護のしようもない怒りを覚えた上に、なんだかそれを擁護して、社会のせいにして、社会を変えたい!みたいに言ってるのが気に障ったのです。
違うな。
”社会変革の方法をいつも考えてる”だ。
変革とか・・・!!無理だってば!!とも思った。
どんな人が言ってるの?と思って、過去のツイートも拝見させていただいたけれど、やっぱりどこか良い悪いの主観で全然発言されていたし。

「死刑になりたいから人を殺す」ような人を擁護するようなニュアンスでそれを「社会のせい」にし、「社会変革の方法をいつも考えている」と大きく掲げて、且つご自身は全然物事をお裁きになっておられる=口だけやんっ と。
そして自己顕示欲の為にフォロワーを増やそうとする匂いとその為に”良い事、素敵な事を言おう言おう”としている匂いがプンプンする。

私の気に障る要素が凝縮されたツイートだったわけです。

まぁ結局その方からはブロックをされまして。
まぁそれはそうでしょうね。
私がそんな事を言ってるのを知ったならば、嫌でしょうね。

でもブロックされたことによって自分の嗅覚がやっぱ間違いなかったな、と思ったわけです。

なぜなら、そもそもどうしてブロックしたの?
→私のことを嫌だと思ったから

なぜ私の事を嫌だと思うの?
→私が彼が不快に思う事を言ったから

なぜ私がそういう事を言ったのを知ってるの?
→私のツイートを見たから

なぜフォロワーでも何でもない私のツイートを見たの?
リツイートされたのを確認してどれどれと飛んできたから

なぜリツイートされただけでこっちに飛んできたの?
→・悪い人じゃなさそうだったらフォローしよかな(できれば相互フォロー希望っ!フォロワー増やすの頑張ルンバ!)
 ・自分のツイートに対して何か言ってるかな!?

まぁこれは悪魔でも私の予想なので真実は本人にしかわからないわけですが、私はそう感じたわけです。

でも、要するには、他人の目を気にしてるって事でしょ。
他人の目を気にして発言しているからちょっと否定されると傷ついちゃう。
「自分はこう思う!」って自信を持って発言したならば、誰に何を言われようと「あなたはそうなんですね、自分はそうは思わないので」で突き通せるはず。
どんだけ大きな事をあたかも風に言ってみた所で、軸がブレてるからすぐ折れる。

そして、社会から裁きというものをなくしたい、社会変革の方法を探してる!というご本人が、人をブロックするという。
ブロックするって事は、十分静かに人を裁いてますからね、そもそも。

というわけで、やっぱりプンプン感じた匂いは正解だったのですね、という事が私の中では立証される結果となったわけです。



まぁ、長くなりましたが。

最近ずっと当たり障りのない事しか私も言ってなくて。
でもそれはカッコつけたり良い人に思われようとしてたわけでは全然なくて。
なんか、命に関わる事とか自分の大切にしているものが脅かされたりする事以外は良い意味でどうでもいいように感じてて。
私にとっては、毎朝、挨拶をし合える人が居てくれること、そして挨拶を交換し合って元気をもらえる事が、ツイッターというプラットホームでの楽しみになってたんですよね。
あと、誰かのお昼ご飯や夕ご飯を見たり、今日はどんな事をしたとかどんな事を思ったとか。
そういった誰かの人生や日常を”リアル”に垣間見れるツイートに触れる事。
だから尖った事を言う必要もなければそもそも思うこともなかったわけで。

まぁそんな感じでいるから、まかり間違って”優しい人”だとか”良い人”だとか思われていたら嫌だな、とは私も暫く前から心配していたわけです。自意識過剰な話ではありますが。

私なんて全然ポンコツだし優しい部分もあるけど全然ドス黒い部分もあるし、明るい部分もあるけど全然根暗な部分もあるし、自分の事良い人だわぁと自分で思う時もあるけど、めっちゃ嫌な奴じゃん!!!と思うことも全然多いし。

皆それぞれ陰陽はあると思うのですが、私の場合ものすごい極端の塊なんですよ。表と裏が。

で、きちおちゃんは私がそうだという事を知っているから「おまえ、そんなに綺麗じゃないだろ、ぬるい事ばっか言ってんじゃねーよ」と思って色々言ってきたんだろうな、と。

昨日の一件で、やっと、きちおちゃんが言いたかった事がまた少し理解できたように思いました。


そもそも「本人に言えばいいじゃん」て話ですよね?

それがもう出来ないんだなっ!
なぜなら着信拒否されてるはずだから!ww

ということで。
今日は絶交したきちおちゃんが最後に言っていた事の意味がわかったよ、というお話でした。



ちなみに大事な事を最後に。

というわけで、
私が”いいね”を付ける時は、必ず何かしらの感情が伴った時のみです。
お付き合い的な”いいね”はしてないし、これからもしたくないのであしからず。
リツイートも、本当に「したい」と思ったものしかしてないし、これからも出来ません。
人数稼ぎのフォロワーとして役に立つことは無いでしょうけども、私が”いいね”を付けたりリツイートした時は、お付き合いではなく、本心でそうしたという事です。
そして、別に多くの人に好かれたい、受け入れられたい、フォロワーが欲しい!と思っていないので、素敵な事や良い事、お世辞や気の利いた事は言えないけれど、私がもし優しい風の言葉を吐いたならばそれは本心です。

そして、私の事を気遣ってくれたり優しく接してくれたり、楽しく絡んでくれる人たちの事を、私は上っ面な感情とかではなく、普通に大切に想ってます。


以上