好きな人、嫌いな人。

さて。
『鉄は熱いうちに打て』と言いますが、洗濯物を干しているうちに熱い想いが冷めてしまったのではないかと少々心配気味な私ですが、今日も張り切って超絶長いブログを書こうと思います。


そもそも私が去年あたりからツイッターに本腰を入れ出した理由は「友達が出来たらいいな」というとってもとってもピュアな想いがキッカケです(笑)
嫌われるような事を平気で言ってしまうようになった今となっては信じてもらえないかもしれないですが、これは本当のこと。
そしてそれは、今も変わっておりません。


人間関係が下手くそな私に”自閉症スペクトラム”という診断がついて、医師からその特徴についての説明を受けたり学んだりした結果、「まぁそれじゃあ仕方ないですわね」と”人間関係が下手くそ”ごと自分自身を受け容れて、うまくやろうとしても多分無理っぽいから下手なりにどうにかしていこう、と。
とりあえず身を置く環境を変えてみる為に、歩いて行ける範囲だけでなく、ネットの海を泳いでみることにしたわけです。


昔から自分に少し癖がある事は自分でもわかっていたので長年、付き合う人や関わる人をすごく狭く選んでしまい、食わず嫌いが多かった私ですが、ここ数年の『人を選ばずどんな人とも強制的に関わらなければならない』という経験の中で
「感じ悪そうと思ってた人が実は色々苦労を経験してて一緒にいて学びが多かった」と思えたり「面白くなさそうと私が勝手に判断してた人から多くの優しさを学んだ」と思う事が多々あり、何事に於いても『食わず嫌いは人生損だな』と思えるようになりました。
(逆に、この人面白そう!と思って関わってみても、一段下の層では感性の方向性が全然違って相性が悪かったりも。)

何事に於いても誰に対しても、食わず嫌いはせず、携われるキッカケがあるなら関わってみる事が大事だなと、それらの経験を通して学びました。



ネットの海を自分自身、裸で泳ぐようになると色々な出会いがありました。

去年の今頃はまだ、キンチョースルナァどきどきっ☆みたいな感じで背筋を伸ばして猫を被る努力をしてみた事も多々。

私自身は本当に自覚が無いのだけれど、何らかの原因で人を不快にさせてしまった事もあったし、自分自身が傷つくことも全然ありました。

でもある日、気付いたんですよね。

人を不快にさせないようにと頑張っても結局うまくいかないじゃないか・・・

その頃、友達からのアドバイスで「同じ発達障害の人と関わってみたらどう?」と言われました。
過去の鬱の時の経験からそういった特定のコミュニティは避けていたのですが、まぁチャレンジは大事 と思って敢えて”発達障害”と公言している人たちの元を徘徊するようになりました。

プロフィールを拝見させていただいて、何となく心に留まった方をフォローさせていただいて。

自分と似たような事で悩んでいたり、似たような困り事を抱えていたり。
それでも、どうにか前を向いて進んでいこうという姿勢を目にする事が増えるほどに、私はなんだか励まされるような元気をもらう事ができて「大変なのは私だけじゃない!」と思える事で、なんだか少しづつ、自分が欲しかったものがそこにある様な気がして嬉しく思いました。


他の人がどうかは知らないけれど、私にとってはネットの人間関係だろうと職場や身の回りの人間関係だろうと、自分の気持ちを押し殺して当たり障りなく接する事が出来ないので、関わってみた結果、もちろん全員と気が合うわけではありませんでした。


何に於いても極端な私は、
疑問なことは疑問だし、
不快なことは不快。
嫌なものは嫌だし、
無理なものは無理。

無理することが苦手すぎるので、”好き嫌いが激しい”となってしまうのです。


まぁそれをある程度コントロールできるのが世の中の言う『おとな』ってモノなのかもしれないから、それが出来ない事で『大人げない』と言われるかもしれないけれど、それならもういっそのこと一生『おとな』になれなくてもいいですわ・・・と思ってます。



さて、前置きがだいぶ長くなりましたが、ここからが本題(笑)

じゃあ、どんな人が無理でどんな人が好きなのか。

・言う事だけ立派で行動が伴わない口だけの人
・自分の言動に責任を持たない人
・自分が正しいと思い込んで人に押し付ける人

挙げればキリがないけれど、これ全部、昔の自分。
同族嫌悪なんでしょうかね。

じゃあ、どんな人が好きなのか。
これは自分一人で考えていてもあまり見えてこなかったので、師匠と話し合ったのです。

「多分ぐれこは、相手に対して敬意が持てないと無理なんだと思うよ」

この一言で何もかもが腑に落ちて、全部解決しました。

よく考えてみると、師匠の事もそう。
師匠の人間性に対して私は敬意を持っている。

歩く範囲にいるお友達さんもそう。
自分の考えをしっかり持ちながらも、人と上手に付き合える所を私は尊敬してる。

ツイッターのお友達さん(勝手にお友達さんだと思ってごめんなさい!!)
自分の好きな事に夢中で且つマニアックな人。
きっと不器用さんなのに何事にも一生懸命全力で頑張っている人。
色々な事に不満を言いながらもがきながらそれでも自分なりの出口を探している人。
やるやる!と宣言してやれなくて自己嫌悪になりながらも明日また頑張る!と自分と戦っている人。
誰に対しても謙虚で優しくて時に自虐的にいつも周りの人に温かさを振りまいてくれる人。
自分の職業に誇りを持って日々真剣に向き合っている人。
独自の思想と世間との折り合いをどう紡いでいこうかと日々哲学している人。
そして、最近関りは少なくなってしまったけれど、一時期私がツイッターから居なくなった時に心配して声をかけてくれた心の優しい人。

別に、何か特別なスゴイ事をしているかどうかじゃなんです。敬意を持てるかどうかって。
”この人のこういう所が素敵だな、スゴイな、羨ましいな、感動するな”
そう感じさせてくれる、その人のハートに、私は敬意を抱くのです。


だから、皆さんは気付いていないかもしれないけれど、多分皆さんが想像するよりも、私は皆さんの事を思ってます(笑)
皆さんがどう思おうが自由ですが、私自身が私のフォローしてる人だったら嬉しいな、と思うレベルで、私は自分のフォローしている人に対して真面目に向き合ってます、というお話。
それが別に片思いだとしても気にしません。
人の心はいつでも自由ですから。



また今日もタイトルと合致しない内容となってしまいましたね。
結局何が言いたいのかも今日は自分でもわかりません。
なぜなら途中で散歩挟んでつけ麺食べてお腹いっぱいになったら眠くなって30分くらい寛いだら何もかもがどうでも良い気分になってしまったからです。

やはり、”鉄は熱いうちに打て”。

まぁ何が大事で何が幸せかって言ったら、
『気分が良いのが一番!』という話でした。

全然違うけど。




「長い」という感想は受け付けません(笑)
今回からその様な感想には飛び蹴りしますので。
 あしからず💙
(ありがとう)