人との距離感(4年前の絶交)

私は結局どこへ行っても嫌われてしまう気がする。
友達が居ない自分をすごく信頼してるし気に入っても居るけれど、それでもやっぱり友達がほしいなと思う。
私は長い間ずっと「人が嫌い」と言って生きていたけれど、本当は人が好きで好きで仕方ないって事がわかった。
「人が嫌い」なんじゃなくて、「人が好きすぎて、その人たちとの関係の中で傷つく事に耐えられない」が正しかったんだと気付いた。
「傷つく事に耐えられない自分の弱さ」から逃げる為に「人が嫌い」と言って格好つけて、最初から自分が傷つかないように予防線を張っていただけなんだと思った。



4年前、十分大人である私は、3年間うんと仲良くしていた人に絶交されました。

当時の私は、人に対して滅多に心を開かなかったのだけれど、その年上の彼女は私の事を「妹みたい」と言っていつも構ってくれて心配をしてくれて、私はすっかり彼女に対して信頼をしていた。
当時の私は今よりずっと不安定で、大人だけれどしょっちゅう泣いたり怒ったりしていて。
でも彼女はいつも私のわかりにくい話を、うん、うん、と言って全部聞いてくれて、私は私の全部を受け容れてもらえている気がして彼女の事が大好きだった。
まるで高校生の頃みたいだった。
私は好き勝手やり放題やって、でも彼女は全部笑って受け止めてくれた。
私が人に傷つけられた時は守ってくれた。
私は彼女の事を「やっとできた親友」だと心から思ってた。

でも、そんな彼女と私の関係は、私たち以外の事が原因で壊れた。

怒った私が彼女を思いっきり責めてしまったから。
いつも私の全部を受け止めてくれた彼女に対して「ありがとう」の気持ちを全部忘れて、私は”私を怒らせる原因”にだけ全集中して、私の感情全部で彼女を責めた。

「思った事を正直に全部言える」のが親友だと思ってたから。
思った事をお互いに全部正直に言い合って、喧嘩して、話し合って、それで仲直りするのが親友だと思ってたから。
私はいつだって誰に対しても思った事を言ってきた。
それで去っていった人たちはたくさんいたけれど、それはそこまでの関係だっただけで彼女は違う。
彼女は私の親友だから。
高校生の時の親友とだって、そうやっていっぱい喧嘩して何回も仲直りして、それで仲を深め合っていたのだから。

だけど彼女は、私の前から消えた。
「この歳になって人とやり合うとかそういうの面倒くさい」とだけ言って。
「逃げるんじゃねぇ!!」と言って何十回と電話してももう彼女は出なかったし、しまいには着信拒否をされた。

「喧嘩して、話し合って、そうすれば絶対に私たちだったら仲直りできるじゃん!いつも色々な事を私に指摘して教えてくれたじゃん!言いたい事あるなら話してよ!!」と思っていたけれど、私は喧嘩をする事すらさせてもらえなかった。

私はこの出来事が耐えられなさすぎて、想像していた展開と目の前にある現実が全然違いすぎてパニックを起こした。
「どうにかしなきゃ、今すぐどうにかしなきゃ」という事しか考えられなくなって、でも電話は繋がらないしもうドアも開けてくれない。
全部閉ざされた私は時間がどんどん経っていく事にも耐えられなかったし、時間を止める為かのように食事も睡眠も一切取れなくなった。

寝ず食わずで見るからにおかしくなっていく私の事をたぶん見かねた周りの人が声をかけてくれた。
私は、私と彼女の問題だから他の人には話してはいけない、とずっと思っていた。
けれど、声をかけてくれた人たちの私を心配してくれている様子がただの興味本位ではない様にだんだん思えてきて、何があったのかを全て彼女たちに話した。

そして彼女たちから、トラブルや揉め事を出来るだけ避ける「大人の付き合い方」というものがあるという事を教わった。
言葉としては聞いた事はあったけれど、それがそんなにも薄情なものだとは知らなかった。

新しい仲間は、私が彼女の事を想っていたよりも、彼女は私の事をそこまで想っていなかったのだと言った。
お互いの熱量が違ったんだよ、と。
それは「”親友”だと思ってたのは、私だけだった」という事を意味していた。

私はその一件からまた、心を閉ざすようになった。
でも私を気遣ってくれたその新しい仲間たちのおかげで、心の傷も心配も随分和らいだし、常に私を元気づけてくれたおかげで私はその一件をなんとか乗り越える事が出来た。

あの時、私に声をかけてくれたこと、そして不安定な私の隣に居てくれた事をありがとうと、これは今でも本当に感謝してる。
(その中でも一番私を気づかってくれた人とは4年経った今も、10回誘ってくれてやっと1回くらいのペースでだけどたまに会っている。なんかありがたいなと思ってきたから、突然だけどありがとう ってあとでメッセージしとこ。)



当時、
何日間も吐き気が止まらなくて
生きてる心地なんか1ミリも無くて
どうしてこんな事になったんだろう
こんなはずじゃなかったって
混乱と焦りと
とんでもない事をしてしまったという後悔と
これからどうなってしまうんだろうという不安とで
心が死にそうだったけれど



でも、よくもまぁこんな”大人”な年齢になってまで、あんなに傷ついて心が張り裂けるほどの友人関係(というよりただの情熱?)を持てたなぁ、などと。
きっとみんながみんなこの歳で経験してるわけでもないのかな(じゃあ珍しい事を経験できてラッキーだね!)なんて。
今では思ってます。





私は、人との距離感を上手に取る事ができません。
上手に取る事ができない、というよりも、多分全くできないのだと思う。

興味がある人か無い人かで、それはハッキリと分けられて、
興味がない人に対しては世間で言う「それなりの上手な対応」が出来るわけだけど、
老若男女、自分が興味を持ってしまった相手に対しては、まだ全然仲良くもないうちから相手の領域にズカズカと自分のペースだけで入り込んでしまう様なのです。
要するには、関心が強くなればなるほど、私は自分をコントロールできなくなってしまう様なのです。

その中でも特に、関心のある人に対してやってしまうのが、求められていない「自己主張」。
関心がある相手に自分の事を知ってほしい という欲求が激しく出てしまうのです。

やってしまっている時は、「相手への関心」と「そこへ向けての自己主張」だけにしか意識が向かず、そこだけに過集中してしまう為、それしか見えてなさすぎて、相手がどう感じるかという事について全く気づけないのです。
(後から、相手の反応がおかしい事に気付いたり、誰かに指摘してもらえれば少し気づけるのですが、その場で自分から気づく事はほとんどできない。)



私は、結局人が好きだとわかったから、誰かと友達になりたい。
友達が居ない自分をすごく信頼してるし気に入っても居るけれど、それでもやっぱり友達がほしいなと思う。

これはネットだろうと目の前に居る人に対しても同じように思っている事。

でも、実際に目の前に居る人たちは、どうやら「それなりの関係」を求めてる。
例えば職場の人とか。
変なトラブルを起こさない為にもお互いに深入りはしない。
表面的な所で当たり障りない程度の付き合いがベストだと思ってるし、それを望んでいる。

さすがの私も相手に意識を集中して、相手の言動をじっと観察して、相手の心の匂いを探せば、相手がそう思っている事がわかる。
「来ていいよ」という「GOサイン」が無い事がわかる。
だから、相手を深堀りしようともしなかったし、自分を押し付ける事もしなかった。

だから、誰ともそれなりにやれてはいたけれど、私は誰と話しても一切面白くなかった。
(気を遣って何か話しかけてくれたり何か質問されたりしても、こんな無意味なやり取りは一体何になるのだろう?何の為の会話なのだろう?と思ってしまって、全部がつまらないのだ)

だからインターネットの海にそれを探しにきたのだと思うのだけれど、しばらく泳いでみたところ、どうやらネットでも同じなのかもしれない、と思い始めてきた。

更にはネットだと、相手の言動を観察しようにも、自分の目で見る事の出来る相手の全身から出る情報量が無さすぎるし匂いも薄すぎて、相手がどういう気持ちなのかがわからなすぎる。
わからなくて目に見えないから気が行かな過ぎて、あれ?と薄っすら気付いた時には手遅れなレベルで暴走した後だったりする。



まぁ、これらこそ、発達障害の特徴だったりするらしいのだけれど。

でも私は、そこに胡坐かいて言い訳の理由にしたくないと思ってる。
”そういう特徴がある”というのが事実だとしても、それが治る事が無いのも事実で、私はそれと一生付き合っていかなければならない。

うーん。



そういう特徴がある
 ↓
だからそういう事になる
 ↓
特徴が原因だから同じ経験を繰り返している
 ↓
その特徴は治るものではない
 ↓
治るものでないなら対処方は?
 ↓
やっちまいがちポイントを意識する
 ↓
意識する・コントロールするという事自体ができない
 ↓
なぜなら、
そういう特徴だから
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ダメだ。



今日一日でどうこうなる問題じゃないけれど、
これもまた一つ、
夏の課題なのか今年の課題なのかはわからないけれど、
考えるべき事のリストに入れて、
今とりあえず私は、
コーラが飲みたい。