「毒親」とは一体何だったのか③

【子供から見える世界こそが、その子供にとっての全世界となる】


私が育ってきた環境は、私の中ではその環境こそが私の世界だった。

それはいつも正しくて、疑う事を知らない。



いつも目の前にあるものが、いつも私の当たり前。

それが、親が私を罵倒する事でさえも、私を殴る事でさえも。

それが「家族」それが「親子」だと思ってた。



友達に、私の家族の話をすると「変な家だ」と笑われる事もあった。
私の両親の事を「おかしい」と怒る人もいた。

でも、私にとっての両親は、いつも私の当たり前だった。



「よそのおうちがどうであるか」は、よそのおうちに育った事がないからわからないし、考えようとする事もなかった。

それは「自分の当たり前が皆の当たり前」だと思っていたからかもしれない。

「どこのおうちもそんなもんだろう」と自分の家庭環境を疑う事は無かった。



私は、殴られる事なく育てられたという人に「君の家は普通じゃない!!」と怒った事がある。

何故怒ったのかは思い出せないけど、もしかしたらこの一件が目覚めの引き金になったのかもしれません。

もしかしたら「そんな事があるわけない!」と怒ったのかもしれません。
なぜなら「そんな事があってしまう」と、私の幼少期や思春期の家庭環境を全否定せざるを得なくなるという事を、無意識に感じたからかもしれません。



「君の家は普通じゃない!!」と怒った一件から、「他人の家」(家庭環境)というモノに興味を持ち始め、それから、自ら様々な人の家庭環境に触れる機会を持つようになりました。

人の話を聞いてみたり、本やインターネット等の情報で知ったり。



その中で【毒親】という言葉を教えてくれた人に出会いました。



勧めてもらった本を読めば読むほど、知識を得れば得るほど、自分の母親がその【毒親】というモノそのものだったのです。



悲しいけれど、自分の母親が【毒親】とされるモノである事を認めざるを得ない所にまで追い詰められたと同時に、何か自分に張り付いているモノの存在を感じるようになりました。