「毒親」とは一体何だったのか⑤

いつも「だれかのせい」にしてしまう生き方は
いつも「自分のせい」だと思って生きてきたから

いつも「だれかに認めてもらいたい」と欲してしまう気持ちは
いつも「おかあさんに認めてもらいたい」と思う気持ちが一滴も満たされなかったから


いつも誰かに必要とされていたかった

いつも誰かに傍にいてほしかった

褒めてほしかった
かわいいと言ってほしかった





子供の頃に、それらを与えてもらえなかった私は、
大人とされる年齢になってから、他人にそれらを求めるようになりました。



様々な事がどんどんチグハグになっていき、身も心もどんどん削れていき、
居場所を見つけられずに私の心身は彷徨い続けました。





「あんたは甘えたい時に甘えさせてもらえなかったからこうなってしまったんだね」





私に必要だった事は、
母親からの呪縛を自分の力で解き『自我を取り戻す事』でした。



『自我を取り戻す』という事は、一体どういう事なんだろう。



「褒めてほしい」と望む思いを他人に求めるのではなく、自分で自分を褒める事をしてあげました。
「認めてほしい」と望む思いを他人に求めるのではなく、自分で自分を認める事をしてあげました。



そうしていくうちに、自分の中に在る『欲しかった形の愛を与えてもらえなかった小さな頃の私』が、どんどん今の私によって癒され、鎮まるようになっていきました。



何度も何度も憎み、恨んだ事もありました。

どうして普通の家庭に生まれられなかったんだろう
どうして普通に育ててもらえなかったんだろう



でもこれは、自分ではどうにもできないものです。


でもこれは、自分でいつでもどうにかできるものだとも知りました。





母親になるという事は、
一度腹をくくった「母になる決意」をどんなに持ち合わせようとも、日に日にどんどん大きくなっていくお腹とは裏腹に、これから起こる全ての現実に対しての責任と不安との戦いであるとも思います。

そしてある日、腹の子を世に産み出した瞬間に与えられてしまう逃れようのない『母親』という肩書きを、心が整う間もなく背負う事となり、誰から教えてもらったわけでもない子育てをしていく事になるのだと思います。

「自分を育ててくれた親のやりかた」しか、みんな知らない。


何が正しいのか間違ってるのか誰もわからないまま、常に様々な決断を迫られ、振り返る間も無く進み続ける時間。





当時の、私に罵声と暴力を浴びせていた彼女の年 になった私が今思う事。



「あの時のおかあさんには、きっと、そうする事しかできなかったんだね」



この言葉は、私が『過去の自分自身』に対してもよく思う言葉です。





許すも許さないも無いのかもしれないけれど、あの時の彼女を私は許しています。

もし、彼女があの時よりも成長し、自分のした事を過ちだと認識してしまうのならば、それはとても辛い事だと思います。

人生は、やり直しが効かないし、過ぎ去った時間はもう二度とは戻らない。

そして今、私達は、その時間を上書き保存する為の時間の共有をする事も無い。



だからもう、今の私は母親に対して、もう何も気付かないでいてほしいなとさえ思うし、
私が許そうが許さなかろうが、彼女は十分心の罰を受けていると思っています。



「私の子供はいつまでも私の子供だから」
「世界で唯一の母と娘だから」
きっと彼女はそれを望み、そうであると信じていると思うけれど、
私としては『母と娘』という関係性のカテゴリ以前に『一人の人間と一人の人間』としての関係でいます。

私が制裁を下さずとも、
あの線上にあった『理想の母と娘像』を手に入れられなかった現実がここにある以上、
彼女はもう十分、心の罰を受けていると私は思っているのです。



彼女の『「毒親」だった過去』は「わたしのせい」で成仏できたと思っています。



だから今わたしは、過去に於いて『毒親にしかなれなかった母親』に対して、
残された自分の人生を、清らかに穏やかに出来るだけ温かい気持ちで謳歌してもらえたら嬉しいな、と『娘である私』思っています。