心に冒険を。
【浮気】
①心がうわついていること。心が落ち着かず変わりやすいこと。
②陽気で派手な気質。
③男女間の愛情が、うわついて変わりやすいこと。多情なこと。他の異性に心を移すこと。
恋人やパートナー、配偶者が大切にしている謎の箱の中から、見知らぬ”過去の想い出の写真や物”が出てきた時。
皆さんはどんな気持ちになりますか?
過去の私はとっても嫉妬深く、相手の何もかも全てを把握し、独占していないと気が済まないようなタイプの人間でした。
「これは何なのか」
「どうして今も持っているのか」
「どういうつもりでここにしまっていたのか」
「まだ気持ちがあるからなんじゃないか」
相手に答える間を与えない勢いで死ぬほど問い詰めていたと思います。苦笑
でも今はきっと違います。
先日の【それぞれの、心のフィルター】というブログにも書いた通り『人の心は本人にしか知り得ないモノ』だと私は思っているからです。
なので、どんなに問い詰めてどんな言葉で説明をしてもらえたとしても、本当の気持ち、その心の温度や質感はその本人にしかわからないと思っているので、問い詰めたり、気持ちを言葉で表現させること自体がナンセンスだと思う様になりました。
むしろ逆に『そのギリギリのラインで揺さ振られる際どい心』対して、ロマンを感じる様にすらなりました。
【浮気】
パートナーが居るにも関わらず、行為としての一線を越えてしまう事はあまり良い事だとは思いません。
それ自体がパートナー同士でOKとしている関係性の形もあると思うので、一概に悪だとも思いません。
(ちなみに私は行為の浮気はされたら嫌です)
例えば自分にパートナーが居て、そのパートナーがとっても素敵な人に好意を持たれた場合。
尚且つ、とっても積極的に迫られた場合!!
パートナーにとっては、幸せな拷問の時間ですね。笑
さて、この幸せな拷問に対して、一線を越えてしまうのかどうにか堪えるのか。
頭の中でパートナーである私の顔を思い浮かべながらなんとか堪えるのが「理性」と言われ、世間一般では「そうあるべき」とされています。
でも、行為として一線を越えなければ、果たしてOKなのでしょうか?
心の中で、今目の前にいる相手に対して「素敵だな」と思った気持ちは、罪にはならないのでしょうか?
私は「罪にはできない」と思います。
ふとした誘惑に対し、堪えるに堪えてギリギリの所で堪えきる。
このギリギリのラインの感情こそが、一番高ぶっていて一番瑞々しくて一番心臓が熱くなると思うのです。
そんな激しく心が揺さぶられるような出来事に遭遇するなんて、なんだか素敵な事だなとすら思うのです。
もし私がその状況に置かれたら、そんなギリギリの思いで堪えたパートナーに対して、可哀想にも愛くるしいにも似た気持ちを抱くと思います。
(と言いながら、現実では怒り狂ってしまうのでしょうか、どうでしょう・・・苦笑)
恋人が居る人もパートナーが居る人も、既婚者の人も。
心は誰のモノでもなく、たった一人の自分だけのモノです。
相手の心を自分のモノに出来ないのと同じように、自分の心も誰のモノにも出来ません。
慎むべきは感情ではなく行動そのものであって、行動さえモラルやお互いのルールに反しなければ、心は誰にも邪魔されないモノであるという事。
という事は、心はいつだってどこにでも行けるって事ですよね。
誰かを「素敵だ!!」と思ってみたり、何かに心を奪われてみたり。
言動で表に出さない限り、誰にも秘密の自分だけの心。
一番高ぶっていて一番瑞々しくて一番心臓が熱くなる様な、そのギリギリのラインの感情。
心はいつだって冒険に出れるのです。
(こころーにぼぉけんをー♪って歌があったな)
対、人であろうと物であろうと。
心の琴線が痺れるようなトキメキで、心の感度を上げていく。
それをなんだかとっても素敵な事に思うのは、私の今日の気持ちが少しファンタジーだからでしょうか。
(明日になったら全然違う風に思っていたらどうしよう。。)
心にたくさんの素敵な冒険を。