夢の中で、自分の『心の奥底にある恐れ』を見つけた話

私はほぼ毎日のように夢を見ます。

それはいつも鮮明すぎて、どんなに不自然な出来事であっても疑う事を知らない私は全て真に受けて、夢の中だと気付く事は無く、自分の喜怒哀楽の感情全てで立ち回ります。
楽しくてケラケラ笑う自分の声や、大泣きする自分の声で起きる事は多く、目覚めた瞬間にどっと疲れている事はしょっちゅうの事です。



数日前(8/3)の話です。
なんだか気分がすぐれず上手に眠れそうになかった私はお布団の中で、”育った町や家、学校などにお礼参りをすると人生が開ける”といった内容のお話を聞いていました。

このお話をざっくりまとめると、
「悪い記憶ばかりに感じていたその場所に今改めて立ってみると、埋もれていた良い記憶が思い出されて書き換わる。書き換わる事で自分自身が癒される。よって、究極のブロック解放になる。(そして、ブロック解放がなされる事によって人生が開けていく)」
といった内容のお話でした。

「なるほど。そういう事もあるんだ。私もやってみようかな。」と思いながら、ふと、過去を振り返ると、私は意外にもそれを既にやっていたという事に気付いたのです。

私にとって、小学校、中学校は汚い人間関係をたくさん見せつけられた、トラウマ級の環境でした。
それが一転したのが高校で、高校は何もかもが思い通りの天国でした。

そんなトラウマ級の環境だった小学校、中学校にそ、私は何度も行ってるのです。
むしろ天国だったはずの高校にだけ、一度も行っていない事にその時気づいたのです。

「なんでなんだろう・・・」と思い始めた頃、やっと眠たくなってきた私は、そのまま眠りにつきました。





気づくと、何度も見た事のある懐かしい門の前に立っていました。
私はこの門の外から見た校庭の広さが好きでした。
でも何故か、そこから中へ入る事を躊躇ってしまうのです。
久しぶりに来た高校の敷地の中へ入りたい気持ちと、躊躇ってしまう気持ちと。

どうしてこんなに肩に力を入れて躊躇ってしまっているのか、全く心当たりが無さすぎるのだけれども、
「原因がわからないからこそ、中へ入って確かめてみよう」
と私は思い、重たい足をなんとか動かして前へ進みました。

校門を跨いで高校の敷地内に入るとそこには、何度も見た私の好きないつも通りに風景が広がっていました。
校庭で体を動かしてじゃれ合っている男子生徒たちや敷地内をお喋りしながら歩く女子生徒たち。
入ってすぐの体育教官室の窓から見える教師の顔は全く知らない顔ばかりでした。
「もう何年も何年も経っているんだもん。知らない先生ばかりで当然だよな。」
さっきまでの緊張もすっかり解れた私がそんなまともな感想を抱いていると、向こう側から、3人くらいの生徒に囲まれて話をしながら校庭へ向かって歩く男の教師の姿が見えました。

3人居る生徒の中の一人は、私の高校時代の親友の子でした。
そして、その男教師は、1年の時の私たちの担任でした。

私は彼らが誰なのかを認識した瞬間「うっ」という感覚と共に、さっきまで解れていた全身の神経が一気に強張りました。

担任だった男教師と目が合った私は、身構える姿勢に更に力が入る。
その男教師の周りにいる生徒たちには何も感じない。
親友だったその子は、目を丸くした驚きと喜びの混ざり合った顔を私に向けてくれている。
彼女たちには何も感じない。
もう一度、視線を男教師に向けるとやはり私の体が緊張する。

「この人が原因なのか?」
と思った瞬間、親友が「きゃー!久しぶりー!!」と全開の笑顔で大きく手を振ってくれた。
その横に居た子たちが誰だかわからないけれど、申し訳程度に手を振ってくれている。
男教師は「おー!」とこちらに向かって手を上げる。

私は男教師のそれを、少し不快に思った。

男教師は手を上げたまま、当時のように私を苗字で呼んだ。

「おー!柳ー!久しぶりだなー!」

最悪だ。
これだ。
私は怒りとも失望ともどんな言葉でもしっくり表すことの出来ないような、寂しいような気持ちになった。

私は『柳』じゃない。

私がこの先生と関わったのはもうずーっと前の、それもたった一年間の事だし、
それからもこの先生は何百人もの生徒達と関わっているわけで。
部活動を通して3年間、更には卒業後にも部活に関わっていた私の親友がその先生と今でも付き合いがあるのはわかる。
そして、希薄な関係性しかなかった私が他の生徒と間違えられたり、名前を忘れられたりするのも仕方のない事だと理解できる。

でも。
どうしても耐えられない。

そんな事を頭の中で巡らせていると、私の親友が「柳さんではない」事を伝えたらしく、
「そうだったそうだった!すまんすまん!」と笑って誤魔化しながら今度は私の苗字を呼びながら申し訳程度に手を振っている。

私はもうそんな事はどうでも良くて、ただただ、とてもショックを受けたような気持ちのまま、すぐ後ろにある門の外へ出た。





不快極まりない目覚めの中、私はある事を思い出した。
『私の事を好きでも大嫌いでもそのどちらかであるならばそんな事はどっちでも良い。けれど無関心だけは耐えられない。』
『忘れられてしまうくらいだったら相手が私の事を忘れられなくなるほど傷つけて、一生忘れられなくさせる』
これは私が高校生の頃や若い頃によく言っていた言葉だ。
(いつからか、その感覚が消えたのか自分でどこかへ閉じ込めたのかわからないけれど、今は日常でその感覚を覚える事は無い)

今思えばとんでもなく自分勝手な事を言っていたわけだけど、それらがさっき見た夢と繋がっている事がすぐわかった。



”私が一番恐れているのは、人に忘れられてしまう事”



若い頃の数々の異常行動や自分さえをも苦しめている精神状態は、自閉症スペクトラムだけの問題ではなく、この今まで見えなかった、ずーーっと昔から自分の心の奥底にあったトラウマ(恐れ)が原因なのではないか?と思ったわけです。

なぜ私はこれほどまでに、人に忘れられてしまう事を恐れているのだろうか。
そしてこのトラウマは、一体どこから来ているのだろうか。

解明する事は私にとって必須な事であるに違いはないけれど、今すぐにわかる事でもない気がするので、それはこれからまた時間をかけてゆっくり考えることとします。

今日は
「夢の中で、自分の心の奥底にある恐れを見つけた」
という話をお送りしました。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました。