毒親と鬱と社会不適合者の話①(事変勃発 中学時代)

「はじめまして!」

最近の私は、新しく出会う人からはよく「少し変わってるけど、明るくて元気な人!」と言われる事がほとんどです。
(”少し変わってる”はココでは必要ないけれど、いつもセットなので念のため正直に記述。苦笑)

職場であれば、それぞれ仕事に勤しむ時間がほとんどですし、プライベートで出会う人であっても、深堀りし合えるまでの時間を一緒に過ごす事は無いので(私が人付き合いがとても苦手なので)、それらの環境に於いて、お互いが今までどういう人生を歩んできたかなど聞き合う事もありません。

『明るくて元気な人!』と言われても、今は何も思わなくなりました。
実際、気分が落ち込む日は人に会わないし、そういう日は職場でも誰とも話さない。
元気がある時だけしか人と関わらないようにしているからです。

でも昔の私は『明るくて元気な人!』と言われると、怒り狂ってしまう事が多々ありました。

「私の何を知ってるんだ・・・!!!」





【事変勃発 中学生時代の話】

一番最初に自分の異変に気付いたのは中学生の時でした。

当時の私は、親に対して自分の気持ちを言ってはならない環境(詳細は【「毒親」とは一体何だったのか】にて)だった事にプラスして、小学校からずっと続いている、周りの人たちのドロドロが渦巻く人間関係にとてもうんざりしつつも、自分に置かれた環境の中で、なんとかやっていくしかないと思っていた為、出来る限り自分の気持ちを殺して生きていました。

今思えば、中学生の頃から気分の波がとても強くあったのです。
でも、それを表に出す事を許される環境ではありませんでした。

その心が弾けてしまったのが高校受験の時。

学校の先生からも、塾の先生からも「その学校を受験するのは危険すぎる(偏差値等が足りない)」と言われた高校を受験する事になったのです。
勿論それは私の希望ではなく、私の母親が強制的に決めた事でした。

物心ついた時には『親の言う事が絶対』という家庭環境だった私には、勿論抵抗するという選択肢は無かった為「どうにかしてでもとにかく受かるしかない」というプレッシャーが全てのトリガーになったのだと思います。

その頃から情緒不安定が加速し、何も悲しくない時に涙が止まらなくなってしまったり、今まで楽しいと感じていた唯一の部活の仲間と過ごす時間でさえ、何も楽しくなくなり。

勉強をしても自分が今何をやっているのかがわからない状態で、問題を読んでも何も頭に入ってきていない、何も入ってきていないけど、何と言うか、、体が覚えていて?勝手に答えを書く、様な・・・
なので、学校で授業を聞いてももう何も取り入れられないし、毎日勉強しても、塾へ行っても、聞こえてはいるけどその場で耳から抜けてしまっている様な。
受験に向けての勉強の時間は増えたはずではあるのですが、新たに取り込めているものは何も無かったと思います。

だんだんと何も感じない様になってきて、ただ、いつも黒い煙みたいなモノが自分の周りを取り巻いている感覚があって。
今思えば、多分それは『不安』の様なモノだったと思うのだけど、それが何なのかは当時はわかっていませんでした。

感情の無い日々が続き、何も悲しくも怖くもないのに、友達と話している最中に突然泣き出す日々。

なんだか心と体がどんどん離れていくような感覚。



試験当日の事はほとんど覚えていません。
「中学校の制服って色々あるんだなぁ」とか
「めっちゃ人居るなぁ」とか。
この記憶だけが残っているのですが、
そもそもこれが、試験当日の記憶なのか、それとも合格発表の日の記憶なのか。
それすら覚えていません。



「”一人落ちてしまった”との電話を受けた時は、確実に君だと思ったよ!笑」
担任の先生から言われた時にも、私は何も思いませんでした。
塾の先生がすごく褒めてくれた記憶があるけど、その時にも笑って返した私の心には何もありませんでした。



この時代の事が、その後に患う事となる『鬱』のトリガーになった出来事だと思っています。
もっと後には、『そもそもの性質』が判明する事になるのですが・・・
『鬱』の感覚を初めて発現させた出来事であったのは、間違いないと思います。