毒親と鬱と社会不適合者の話②(桃源郷 高校時代)

桃源郷 高校生時代の話】

その後の高校生活は、小学校・中学校の『地獄の時代』とは全く別世界の云わば『天国』でした。

今まで見てきた「ドロドロした人間関係」から解放され、イジメの様なモノや、嫌な人間関係を見る事も無くなりました。

それは、そもそもその学校に集まった人達の性質もあると思うけれど、私自身が「もう誰かとつるんだり人の顔色を気にしなくていいんだ!」という地獄からの解放感で『誰ともつるまず独りで居る事』を自ら選び、実際にそう過ごせたからだとも思っています。


実際、独りで居たかと言うと全くそうではなく、
自分が『誰ともつるまず独りで居る』と決めて、自分の気持ちのままで過ごして居たら、優しい人達が声をかけてくれたり色々誘ってくれたり。

『友達になってください!』という女子からのラブレター?もよく貰っていました。
『〇〇君が「あの子って、一匹狼って感じでカッコいいよね」って言ってたよ!』という話を聞いたり。

『誰ともつるまず独りで居る』
その自分のままの私を周りの人に受け入れてもらえたのがすごく嬉しかったし「私は私のままでいいんだ!」とちょっぴり自信が持てた時代でもありました。


心の浮き沈みが無くなったか?と言えば、それはそうでも無く、中学の時よりも、それは一層強くなったといいますか。
「何も感じない」という事が一切無くなり、むしろ、喜怒哀楽がかなり激しくなりました。

嬉しい時は呼吸をするのを忘れるくらいに喜び、
怒る時はフンガフンガ!!と気が済むまで怒り、
哀しい時は誰の目を気にする事なくそこかしこで泣き、
楽しい時は疲れて倒れるまで笑い。

今思えば「相当ワガママに生きていたな」と思うくらい、めいっぱいの喜怒哀楽を全身で放っていました。

「約束した時は行きたい気持ちで約束したけど今日は行きたくない気分だからごめんね」とドタキャンばかりしていた私を『でた!ドタキャンの女王!』と笑って許してくれたあの時の皆の心の広さに、今も心から感謝しています。

その学校に集まった人達がそういう優しい人が多かったのだと今になってもそれは思うし『ありのままの自分』を受け入れてもらえる環境に居させてもらえた事にも今となっては本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


そういう意味では、本当に、その学校へ行けて良かったと心から思ので「私の言う事を聞いておけば間違いない!」という母親の口癖にまた一つ拍車をかけてしまう事にもなるわけですが・・・



それでも私は「”ありのままの自分”を受け入れてもらえる事が、こんなに嬉しくて幸せな事なんだ!」と。
この時代の経験を通して、初めてその感覚を知る事となりました。



私は、小学生の頃から母親に言われていた言いつけを初めて破りました。

「あんたは才能があるんだから音大に行ってピアノの先生になるんだよ!」
そう言われ続けて生きてきた私は、それを何も疑う事なく「自分はそうなるんだ」と漠然に認識し、学校の作文やらで問われる「将来の夢」には、いつだって迷わず「ピアノの先生」と書いてきました。

でも、高校時代に自我を取り戻した私はふと「私、どうしてピアノの先生になるんだろう?」と気づいてしまい、その理由が見つからなかった私は、ピアノを辞めたいという意思を母親に伝え、これで散々揉めました。

「あんたの為にいくら使ってきたと思ってるの!!」

その言葉を浴びせられた時「あぁ、この家を出よう」と決めました。

家を出て一人暮らしをして、自分の本当にやりたい事を探す為にフリーターになる。

その為に、バイトのお金を一切使わずに頑張って貯金し、自分の思った生活を自分で手に入れた事は、我ながらよくやったな、と今でも思っています。



しかし、その後に待ち受けている「大人の社会」は、この「自分の心を大切に生きる」という天国の存在を知ってしまった私にとって、地獄の始まりでした。