毒親と鬱と社会不適合者の話④(薬物と共に)

【薬物と共に】

当時、私は様々な薬を投与されていました。

元々、几帳面な部分とそうでない部分の差が激しい私は『毎日同じ時間に決まった量を飲む』事が難しく、飲んだり飲まなかったり。
あまり薬の効果を実感できないまま日々が経っていきました。

ある時、何があったかは忘れたのですが、どうしようもない不安に駆られた時に、
「この薬、飲んでも効かないのは量が足りないからなんじゃないか。量を増やせばこの不安を今すぐ消せるんじゃないか!」と思い、飲んだり飲まなかったりしているうちに溜まっていた薬を、指定されているよりも多く飲みました。

頭がボーっとして、不安は輪郭部分からどんどん消えていき、何も考えなくてよい状態をジワジワと掴んでいった感覚を覚えています。



「これなら辛い事があっても嫌な事があっても、乗り越えられるしやっていける!!」



正しくて正しくない薬の服用の仕方を覚えた私は、新しい職場では自分の心を殺す事をしませんでした。

理不尽に強要してくる事があれば、なぜそうやらなければならないのかの理由を問いました。
立場的に言えば一番下なので、先輩方が帰宅するまでは帰らない方が良いらしいのですが、私の同期がきちんと先輩方が帰宅するのを待つ中、私は自分のやるべき仕事や用事が済めば普通に帰宅しました。

とても後輩らしい後輩!という”優秀な同期”が居た事も相まって、私の言動を気に入らないと思う先輩方から意地悪をされるようになりました。

あからさまに私に対して意地悪をしてくる人を、私は許しませんでした。

『先輩の言う事を聞かなきゃならないのであれば、私が言う事を聞ける先輩を自分で選ぶ』
これをしたせいで更に意地悪がひどくなり状況はどんどん悪化し、激しく色々ありました。

「どんな事を言われても何をされても、薬さえあれば私は傷つかないし、傷ついたとしても忘れてしまう事ができる」

日を追うごとに、出勤日に飲む薬は増える一方でした。



意地悪に腹を立て勤務時間中に逃亡し、ゴミ捨て場にて立てこもり事件。

数々の問題を起こし迷惑をかけた事は事実なのですが、いっぱいありすぎて、私の感情が薬でも抑えられなかったほど激しく動いた事しか今は覚えていません。



仕事中、あからさまに激しい意地悪をしたのを完全に目の前で見て見ぬふりをした、本当は何も悪くない同期の子に腹を立て、私の完全な八つ当たりである怒声を浴びせられた彼女が逃げ込んだトイレを「出てこい!」と更なる怒声と共に蹴り続け。



この事件を最後に、私はこの職場を去りました。



自分の行動を美化して話すつもりは全くないのだけれど、
その時の私の行動が決して正しいモノではない という事は、当時の私でさえ、頭のどこかではわかっていたのだけれど。

とっても情けない話なのだけれど、
あの時の私には、そうする事しかできなかったのです。



皆みたいにうまくやっていきたい
皆みたいに周りと馴染んでやっていきたい
皆みたいにちゃんと社会で大人としてやっていかなきゃ
「今度こそ絶対ちゃんとやれる!」と決めて入ったこの職場を
こんな形で辞める事になるなんて


どうしてこんな事になってしまったんだろう。





「どうしてそんなにカッコつけて生きてるの?」



その時の『私が言う事を聞ける先輩として自分で選んだ上司』(後の”ししょー”)は言いました。

ビクっとしたと同時に「ハッ!!」としました。

寒気がしました。



私がカッコつけてる・・・?
私はカッコつけてるのか・・・?
カッコつけてるつもりはないけど・・・
カッコつけてるのだとしたら、カッコつけてるとバレる事ほど恥ずかしいものはない・・・



私は自分の心の守り方をいつからか間違っていたのです。



社会に適合できない自分を、社会に馴染めない自分を、普通の人と同じ様にやれない自分を。
周りに馴染む為に、自分の心を殺すのか。
周りに馴染まなくてもいい!と決意をして自分の心を守るのか。
でも、周りに馴染まないでいてこの社会って生きていけるの?
この社会ってあの時(高校時代)みたいに良い人ばかりなんかじゃ全然ないのに!!
どうすればいいのかわからなくてもがき苦しんだ結果、薬を乱用しながらも社会に残ろうとしがみつき。
やられたらやり返す。
やられる前にやる。
「誰にも私の事なんか理解されたくない!」と誰かに理解されずに傷つくよりも先に自分で声を上げ、
「誰も私に近づくな!」と言わんばかりの態度で常に先制攻撃。

「わたし、こんなんじゃなかった」

虚勢を張って生きている という事に気付きました。


「自分で”今度こそ頑張ってやり遂げる”と決めたのに辞めるなんて、自分との約束を守れないなんて、自分に負けた事になる」
と、それから私は毎日泣きました。
でも、ししょーは
「これは自分に負けた事にはならない」
と私に言いました。



すごく晴れた青空の日の、まだ昼間の事でした。

私は泣きながら自転車を漕ぎました。

戦いの終わりを祝福するかの様な、まっさらな青空を見上げながら帰路についたあの日を最後に、
私は、誰も入ってくる事の出来ない私だけの家の中に引き籠るようになりました。