毒親と鬱と社会不適合者の話⑤(引き籠り生活と断薬)

【引き籠り生活と断薬】

私には眩しすぎるほどの青空を最後に家に引き籠るようになった私は、
「今度こそ!」と決めた自分との約束を守れなかった罪悪感と生温い生き心地の中で朦朧とした日々を過ごしていました。

『起きても起きなくても良い自由』は、忙しく思う時には羨んでいたけれど、
実際そこにあった自由は、自分が望んでいたモノとは全く違った形のモノでした。

考えれば考えるほど、自分の事が嫌になるし、この先どうしていけばいいかわからなくなってただひたすらどんどん苦しくなる。
苦しくなればなるほど、不安の煙に殺されそうになって、それを追い払う為に薬を飲む。

ずっと眠くてずっと怠い。

ずっと眠くてずっと怠いけど、寝る事も出来ないし動く事も出来ない。

ずっと動かないでいるから、今がいつだかわからない。

今がいつだかわからないから、薬を飲んで横になっているしか出来ない。

日を増すごとに、どんどん生きる気力が無くなっていきました。

生きているのか生きていないのかわかりませんでした。

生きているのか生きていないのかわからないけど、そんな事ももうどっちでもよいとも思いました。



この頃にはもう、病院へ行く事も出来なくなっていたので、今自分の手元に残っている大量の薬だけが命綱のように思っていました。



「もう仕事も行かなくていいんだし、断薬してみたら?」

仕事を辞めてからも気遣ってくれていた、ししょーからの提案でした。



もう仕事辞めたのが現実なんだし、どうせならゆっくりしたらいい。
ゆっくりしてるのに飽きれば、その時にまた何かやりたいときっと思えるよ。
とりあえず今は体の事を大事にして、せっかく何もしなくて良いのだから、とりあえず薬飲むのやめてみな。





面倒を見てもらいながら、私は薬をやめる努力をしました。

「努力」というと大袈裟に思うかもしれませんが、これが私にとって、それまでの短い人生最大とも言えるほどの苦痛との戦いになったからです。



突然服用を止めると反動が大きすぎました。
その大きすぎる反動を補う為かの様に、また多く飲んでしまう、そして自己嫌悪に陥る。
この繰り返し。

「飲まない!」と決めた自分との約束を、今度はその約束を破り続ける日々。

(本来、医師の指導の元、徐々に減薬していくという方法が取られている様なのですが、如何せん素人判断での断薬だった為、この様な結果になってしまったのだと思います。)



何日も眠り続ける日があったと思います。

今日がいつだかが、ずーっとわからない状態でした。

目が覚めて「あ、生きてた」と思った記憶があります。

この先、私はどうなっていくんだろう と思うと不安になってた事も昔の話。

不安という気持ちが何なのかももうよくわからなくなってました。

この先、私はどうなっていくんだろう が他人事の様に思っていた記憶があります。

うつらうつらした意識の中で、生きているのか死んでいるのかわからないな、と何度も思った記憶があります。

生きているのか死んでいるのかもうわからないんだから死んでしまったら楽だろうな。

死んでしまえばもう何も考えなくて済むもんね。

でも別に本当は死にたいわけじゃなく消えたいだけなんだ。

私ごと消えてこの頭が少しでも動いてしまう事をもう止めたいだけなんだ。





ある日、気付くと私は母親の家で目を覚ましました。



夢なのか現実なのかわからない、オレンジ色の温かな照明の記憶が残るその部屋で、母親は私に何か話していました。

でも私は、母親が何を話しているかが聞こえていたのかいないのか、当時も今でももわかりません。



その後、数か月ほどでしょうか。

私には何の記憶も残っていません。


少しだけ覚えているのは、私が母親の家にその後も何度か居た事です。
どうやって行っていたのか、どうしてそこに居たのかは、今でも全く思い出せません。



ただ、しばらくして、ししょーにお世話になりながら、引っ越しをした事を覚えています。